ゴー宣道場の師範という立場を離れ、その立場に拠らず、己と公論との関係を自力で立て直さなければならないけれど、さてどうしたらいいだろうと考えていた先日の夜更け、私が非常勤講師をしていた学校の卒業生から、電話がかかってきました。
<会社で嫌なことがあって、明日出勤したくない。それが甘えだということはわかっている。だから今日は早く寝て明日に備えたい。しかし寝れないので、後一時間ぐらい「無駄話」に付き合ってほしい>という電話でした。
「切通はどうも弱者から好かれるようだ。それは己の弱さをそのままにしているからだ。いい加減50過ぎたのだからそこから脱却せよ」と小林よしのりさんから言われたことを思い出し、こんな電話など相手にしていられないと思いかけましたが、なんだかかわいそうな気がして、決局「無駄話」に付き合ってしまいました。と言っても、話をさせられるのは自分です。
「先生こわい話をして」とリクエストされたのですが、私にはオリジナル怪談のストックなどありませんし、所謂「心霊スポット」に行ったこともありません。
考えあぐねたあげく、あることを思い出しました。
私はいま住んでいる家に子どもの頃からいるのですが、昔は出入りのお米屋さんがありました。配達のおじさんはお米屋さんの一人息子でしたが、顔面麻痺の障害がありました。若い頃は、跡取りとして、縁談の話もあったようですが、結局壊れて、以後女性不信になりずっと独身である・・・などという話を、うちの母にしていたこともあったと聞いています。
我が家はある時期からお米屋さんに配達を頼む習慣がなくなりました。近所の家もそうだったのでしょうか、そのお米屋さんのガレージはシャッターがいつも全体の五分の三ぐらい閉められたままになっている状態が続くようになりました。
私もいつしかその店のことが念頭からもなくなり、前を通っても、目さえ向けることがありませんでした。そういう状態が20年、30年続きました。
ところが3年ほど前、私がその米屋のシャッターを通り過ぎる時、フト昔のことを思い出して、「そういえば、ここはお米屋さんだったなあ。あのおじさん、どうしてるだろう」と目を向けた時・・・その間、私の視線が留まったのはおそらくホンの5秒、10秒ぐらいだったと思います・・・灯りのついたシャッターの向こうから、「なに見てるんだ!」という怒りの叫びが聞こえてきたのです。
私は一瞬凍りつき、シャッターに向かって頭を下げると、あわてて逃げ去りました。
その翌年には、辺り一帯が再開発されて、お米屋さんだった場所はあとかたもなく消えてしまいました。
「その話、こわいっていうより、かわいそうな話じゃない? そのおじさんからしたら、先生がすごく幸せな人に見えたんだよ」
そうかっての教え子から指摘され、私はあらためて考え直してみました。
あのおじさんは、かつては己の不遇を近所のおばさんである私の母にこぼすぐらいには、地元の人たちと心を許す関係を持っていた。だけど米屋の配達の需要がなくなって、話し相手もいなくなり、閉じかけたシャッターの向こうから、何十年も、行き交う人々を見つめていた。かつては同じ町の共同体の仲間だと思えていた人々を、ずっと見つめ続けていた。
その中には、小中学生の頃から顔を知っている、私の姿もあった。かつての子どもが白髪頭の中年男になるまで、その変化すら見届けていた。ある時は、夫婦で歩く私の姿が見えたかもしれない。またある時は、犬の散歩をしている私が見えたかもしれない。
その「元少年」が、単なる好奇心としか言いようのない顔で、自分のことを見つめている。耐えられない。これは叫ぶしかない!
・・・本当のところは、わかりません。あの声があのおじさんの声であったという証拠もありません。
しかし、はじめは「無駄話」の時間つぶしのためにし始めた話題が、私にある自覚をもたらしたのは事実です。
私は自分のことを、たまたまライターの職業は得ているけれども、学校の講師をやっていると言ったって非常勤だし、常に「真ん中から下」のさえない弱者だと、いじけた自我を持っていましたが、そんな私にも、無意識に手放し、切り捨ててきたものがあって、そちらの側からすれば、私は社会の表側の人間であるのだと。
その自覚と責任を持って生きることが、公論につながるのでは・・・と思ったのですが、こういうことを書く場って、意外にない。
「ゴー宣道場のブログを書けていた時代が、早くも懐かしい。しかしいまの自分には、その資格もないのだ」と思っていた矢先、小林さんから「ブログを書いていい」というお許しを頂いたのは無上の喜びです。
ありがとうございます。
道場の現在にすぐ役立つことを書けるかどうかわかりませんが、折々に精進の過程を報告してまいりたく思います。
それから、トッキーさんがブログで紹介して下さいましたfftさん、和ナビイさんからのねぎらいのお言葉、涙なくして読めませんでした。
ありがとうございます。
そのお礼を公に申し上げる機会が出来たことにも、感謝いたします。